「ファミリーコンピュータ」「ファミコン」
始めてCMを見たときは感動しました。
あの「ドンキーコング」が家でできる!!
価格は当時は14,800円。(消費税ナシ!)決して安くはありませんでした。
この価格って忘れられないんですよね。何十年も経っているのに。
ファミコンが発売されてすぐ購入したお金持ちのおぼっちゃまの家には
友人が大勢押しかけました。
白と赤(小豆色?)の本体に心奪われ、画面に映し出されるゲーム画面に心ときめかせました。
大勢いるので、1回プレイできるかどうかですが、順番待ち列ができていました。
ところで、初期のファミコンと中期のファミコンでは小さな変更ですが、大きな改善が
実施されています。ご存じかと思いますが「A・Bボタン」が四角いゴム製からプラスチック製へと変更されました。
四角いボタンは押した引っ込んだままになることが多く、プレイに支障が出ていましたが
丸ボタンに変更されてから支障がなくなりました。
十字ボタンと丸ボタンは現在のゲーム機にも使用されているので、凄い発明ですよね。
ファミコン飢饉
私はファミコンが発売されてから2年後に買ってもらったのですが、とにかく売っていなくて
苦労した思い出があります。
店舗によっては、店で余っていたソフトと本体を抱きあわせて販売するというアコギな
店もたくさんありました。(もちろん割引などなく、全ての定価を合計した金額での販売です。
世にいう「ファミコン飢饉」です。(私の周りだけ?)
私の中では「ファミコン飢饉」「ガンプラ飢饉」「Switch飢饉」が存在します。
私が買えたきっかけは、新聞の折り込みチラシに近くのデパートの広告に入荷の記載を
発見したからです。凄く小さい字でかいてあり、ファミコンを知らないがのか、あえて
目立たないようにしたのか、とにかく発見しにくかったのを覚えています。
学校が終わるまで、どうにか余っていれくれ!と祈りながら放課後を待ちました。
放課後になると速攻でデパートに向かい、残り1個を手に入れました。
嬉しかったですねぇ。憧れのファミコン。
・・・嬉しかったのですが、心に引っかかっている問題がありました。
なんと言いますか・・・
「ソフトがない!!」
予算の都合上、ソフトは買ってもらえなかったのです。
父が自分の小遣いから本体の代金を捻出してくれたのですが、ソフトは3日後に
買ってくれる予定だったのです。
では、「周りの人から借りればいいじゃん。」という声もあるかも知れませんが
当時は「ギブアンドテイク」借りたければ貸すが暗黙のルールであった為
中々「俺はソフトはないが、貸してくれ」とは言いづらく、本体を眺めて我慢していました。
3日後、父がソフトを買ってきてくれました。
初めて買ってもらったソフトは「テニス」です。
かなりやり込んだので、CPの最高レベル円では負けることがないくらい上手くなりました。
その後、「MAPPY」や「ロードランナー」などを買い、ファミコン生活を謳歌すると同時にクソゲーを掴ませられたりするのですが、クソゲーの思い出については
また、今度語らせて頂きたいと思います。