こんな人がいたんだ。日本のヒーロー「上杉鷹山」

私は小説を読むのが好きです。 ミステリー・推理・ファンタジー……ジャンルは問いません。 しかし、何度も読み返すのは 時代(歴史)小説

今回は、その中でも特に心を打たれた主人公、 上杉鷹山(うえすぎ ようざん) を紹介します。

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◆ 上杉家の“外様”としてやってきた若き藩主

上杉鷹山は、上杉謙信を藩祖とする米沢藩の第9代藩主。 藩主時代は 上杉治憲(はるのり) と名乗り、 隠居後に 鷹山 と改名します。

しかし彼は上杉家の血筋ではありません。 九州の秋月藩から養子として迎えられた“外様”の若者でした。

しかも、彼が藩主となった1767年の米沢藩は、 貧乏のどん底。 金貸しからも見放されるほどの財政難。 まさに倒産寸前の会社の社長に就任するようなものです。

◆ なぜ米沢藩はそこまで貧乏になったのか

原因は関ヶ原の戦いに遡ります。

西軍についた上杉家は、徳川幕府により 120万石 → 30万石 へと大幅減封。

にもかかわらず、当時の宰相・直江兼続は 藩士を解雇せず、従来の規模を維持。 収入が3分の1になったのに支出はそのまま。 当然、財政は破綻寸前。

さらに、上杉家はその後も 金のかかる行事をやめずに続けたため、 借金は雪だるま式に増えていきました。

そんな状況で、17歳の治憲が藩主に就任。 重臣たちからは舐められ、改革は困難を極めます。

◆ 藩政改革 ― 伝統を壊す覚悟

治憲は最後の賭けとして 藩政改革 に踏み切ります。

その内容は、上杉家の伝統や武士の誇りにまで踏み込むものでした。 たとえば―― 「武士も畑を耕して作物を育てるべきだ」 という、当時としては革命的な提案。

当然、重臣7人衆は猛反発。 藩主の座から引きずり下ろそうと暗躍します。

現代でも、若い社長が突然大改革を始めたら 重役たちが黙っていないのと同じ構図ですね。

◆ 改革を成功に導いた“目的の明確さ”

治憲は最終的に改革を成功させます。 もちろん、一朝一夕ではなく、多くの犠牲も伴いました。 (重臣7人衆も、正式な手続きを経て処断されています)

それでも成功した理由はただ一つ。

「改革は誰のために行うのか」

当時の一般的な改革は、 幕府のため、藩のため、家のため―― つまり“上”のための改革でした。

しかし治憲は違いました。

「藩の民が豊かになるための改革」

これを明確に掲げたのです。 こんな君主、そうそういません。

◆ 優しさと厳しさを併せ持つリーダー

治憲は慈愛に満ちた人物として描かれますが、 決して“ただの良い人”ではありません。

どれほど信頼していた側近であっても、 罪を犯せば容赦なく処罰する厳しさを持っていました。

その公平性こそが、 人々を納得させ、ついてこさせたのです。

◆ 現代にも通じるリーダー像

現代の企業でも「改革」「イノベーション」はよく聞きます。 しかし、その多くは企業のための改革であり、 社員のためとは限りません。

300年前の話を現代と比較するのは難しいですが、 それでも、 “民のための改革”を掲げた鷹山の姿勢 には驚きと感動があります。

◆ 読み終えたあとに吹く“清々しい風”

上杉鷹山を描いた小説は、 読み終えたときに心が洗われるような清々しさがあります。

最後に、治憲が次期藩主・治広に家督を譲る際に残した 有名な「伝国の辞」を紹介します。

◆ 伝国の辞(でんこくのじ)

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

天明五巳年二月七日 治憲(花押) 治広殿 机前

この三条に、治憲のすべてが詰まっています。 300年前の言葉とは思えないほど普遍的で、 今の時代にも響く力を持っています。

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