私は小説を読むのが好きです。
ミステリー・推理・ファンタジー
何でも読みますが、何度も読み返すのは時代(歴史)小説です。
今回は私が好きな小説の主人公を紹介させて頂きます。
上杉鷹山(ウエスギ ヨウザン)
上杉謙信を藩祖とする「米沢藩」の9代目藩主です。
藩主を務めているあいだは「上杉治憲(ウエスギ ハルノリ)」と名乗っていましたが、隠居してから「上杉鷹山」と名乗ります。
この人物は「上杉家」の血筋とは直接の関係もありません。
九州の秋月藩から「上杉家」の養子として藩主の座を継ぎました。
ただ、この時代(1767年)上杉家は貧乏の極み。
家計は火の車で、金貸しもあまりの貧乏っぷりにお金を貸してくれない有様。
上杉治憲はそんな状況の「上杉家」の家督を継いだのです。
今でいう倒産寸前の会社の社長になった訳です。
貧乏の原因
原因は「関ケ原の戦い」に遡ります。
関ケ原の戦いで西軍に属していた上杉家は、徳川幕府により120万石から30万石に減封されます。
しかし、ときの宰相「直江兼続」は藩士を解雇することなく、同じ規模の藩士を雇っていました。
売り上げが3分の1になって社員はそのままというのですから、いずれ赤字になることは目にみえていました。
その後、上杉家で何か手をうてば良かったのですが、お金のかかる行事など一切やめることなく続けていた為、藩の借金は増え続け藩政を継続できなくなるという危うい状況になりました。
(※藩政を続けられなくなるといことは「幕府」に土地を返すことになります。)
このような状況下で上杉治憲は藩主になりました。
17歳という若年。しかも上杉家に代々使える重臣から舐められていました。
藩政改革
上杉治憲は最後の賭けとして「藩政改革」に乗り出します。
上杉治憲の改革は、今までの上杉家の伝統や武士の尊厳にかかわることまで、手を出そうとしました。
(例えば、武士も畑を耕して作物を育てようとか)
そこで黙っていられないのが上杉家の重臣7人衆。
こぞって反対の声をあげ、藩主の座から引き下ろそうと暗躍します。
確かに、今の社会でも「若年」の社長がいきなりやってきて「大鉈」を振るったら重役たちは黙っていないでしょうね。
結果的に上杉治憲は「藩政改革」を成功に導きます。
もちろん、一朝一夕にはいきませんでしたし、多くの犠牲も発生しています。
(重臣7人衆もしかるべき手順を取ったうえで「処断」されました)
それでも改革を成功させたのは「改革を誰の為に行うのか」をはっきり提示したことにあります。
誰の為の改革か
・藩の為?藩に仕える家臣の為?
この時代、普通でしたら幕府の資金の為とか「お家」の為に、民に倹約させる。
というのが改革でしたが、上杉治憲は「藩の民が豊になる」という目標を立てました。
何て素晴らしい君主でしょう。
・強力なリーダーシップ
上杉治憲は慈愛に満ちた性格で描かれていますが、ただの「良い人」ではありません。
たとえ、どんなに親しく信頼していた側近でも、罪を犯せば処罰するといった厳しい側面
もあります。
公平性を持ったリーダーなので、皆納得してついていきます。
現代の企業でも改革・革新(イノベーション)は頻繁に使われています。
もちろん、企業が潤うことによって雇用されている社員安定するのですが
改革という名の人減らしは「社員」の為でしょうか?
やはり、多くは「企業の為」になっているのではないでしょうか。
300年前の話と現代を比較するのは無理がありますが、300年前の日本に上杉鷹山のような人物が存在していたんだという、驚きと感動があります。
「上杉鷹山」の小説は読み終わったとき、心に清々しい風がふきます。
最後に上杉鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、藩主としての心得を紹介します。
伝国の辞
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事天明五巳年二月七日 治憲 花押
- 治広殿 机前
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