セガと僕

今の世代の皆さんはセガがソフトメーカーではなく
ハードも販売していたってこと、ご存じですか?

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セガの名機たち

古くはファミコンに対抗して販売された「SG1000

そして「セガ・マークIII」


バージョンアップの「セガ・マスターシステム」

任天堂がファミコン1台でどっしり構えていたその頃、セガはというと、なんと4台ものハードを次々と世に送り出していました。

まさに「任天堂の牙城を崩すんだ!」という気迫が伝わってくるようで、全身全霊で挑んでいたんだろうなぁ…と勝手に想像してしまいます。

アーケードゲームのセガ

もそもセガは、アーケード界ではトップクラスの開発力を誇っていました。 特に“体感ゲーム”の分野では右に出るものがいないレベルで、今までにない遊びを次々と形にしていたんです。

その代表格が、まるで本当にバイクにまたがって走っているような気分にさせてくれる筐体──

「ハング・オン」

あの傾けて操作する感覚、当時としては衝撃的でしたね。

当時、まさに度肝を抜かれたのが、あの上下左右にガンガン動く体感筐体──

「スペースハリアー」

あのダイナミックな揺れとスピード感、まるでゲームの世界に放り込まれたような感覚は、初めて見たとき本当に衝撃でした。

当時、ドライブゲームの最高峰とまで謳われた名作──

「OUTRUN」

あの風を切るような爽快感と、BGMの心地よさ。 まさに“ゲームセンターで南国ドライブ”を味わえる、夢のような一台でした。

映画『トップガン』が大流行していた頃には、もちろんあの名作──

「アフターバーナー」

筐体に乗り込んだ瞬間、誰もが気分はトム・クルーズ。 あの爆音、あの揺れ、あのスピード感。 ゲームセンターが一瞬で戦闘機のコックピットに変わる、まさに夢のような体感ゲームでした。

などなど、これらの体感ゲームを遊ぶために、私はいったい何枚の100円玉をつぎ込んだことか…。 当時の自分に問いただしたいレベルです。

体感ゲームは、普通のテーブル筐体よりも1プレイの値段が高めで、 1プレイ200円なんて設定が当たり前でした。

もちろん、1プレイ100円の良心的なゲームセンターもあったにはあったんですが、 そういう店に限って 難易度設定が妙に鬼 だったりするんですよね。 「これ絶対クリアさせる気ないだろ…」みたいな。

そしてセガは、アーケードの名作を自社の家庭用ハードへ積極的に移植していたのですが、 いかんせん 8ビットマシンでは再現力に限界 がありました。

体感ゲームも頑張って移植されてはいたものの、 「努力は認める…認めるけど…!」 という、どうしても避けられない見劣り感があったのも事実です。

セガの新ハード

満を持して登場したのが、あの 「セガ・メガドライブ」 でした。

本体正面に堂々と輝く 16BIT の文字。 それまでの家庭用ゲーム機とは比べものにならないグラフィックと音質。 「ついにセガの時代が来るか…?」と胸が高鳴ったものです。

ところが、同時発売タイトルが スペースハリアー2 獣王記 という、なかなか渋いラインナップ。 スペハリ2はオリジナル、獣王記はアーケード移植でしたが、 新ハードのスタートダッシュとしては少しパンチが弱かった印象でした。

そしてメガドライブ発売から約2年後、任天堂が 「スーパーファミコン」 を投入します。

スーファミの売れ行きは皆さんご存じの通り絶好調。 品切れ続出、さらにはソフト抱き合わせ販売まで発生するほどの人気ぶり。 このあたりから、世間は「任天堂派」と「セガ派」に分かれ始めた気がします。

正確には、 「万人受けの任天堂より、セガの気骨あふれるゲームが好きだ」 というコアなファン層が生まれつつあったんですよね。

もちろんセガだって、マリオのような国民的タイトルを作りたかったはず。 でも、そもそもハードの所持率が伸びないとどうにもならない。

今でこそゲーム機を複数台持つのは普通ですが、当時は1台持つのが精一杯。 だからどのハードを買うかは、周りの友達が何を持っているかに左右されていました。

当然、スーファミの所持率が圧倒的。 結果、メガドライブユーザーも結局スーファミを買う…という状況に。

メガドライブ時代は、セガだけでなくナムコやカプコンといったサードパーティも 良質なソフトをたくさん出していたのですが、 それでもハードの売上を劇的に押し上げるには至らず。

この頃のセガの人たちの気持ちを想像すると、 「悔しかったろうなぁ…」と胸が締めつけられます。

そして追い打ちをかけるように、スーファミには ゲームセンターで社会現象を起こした 「ストリートファイターⅡ」 が移植されます。

 

セガも負けていません!

対戦格闘ゲームの大ブームが巻き起こっていたあの頃、セガはとんでもない一撃を世に放ちます。

それが── 「バーチャファイター」

ポリゴンで動く3D格闘なんて、それまで誰も見たことがなくて、初めて見たときは本当に衝撃でした。 「ゲームってここまで進化するのか…!」と、時代が一段階ガツンと進んだような感覚すらありました。

それまでの2Dキャラが主流だった格闘ゲームの世界に、突然あらわれた3Dキャラによるリアルな対戦格闘。 ゲームセンターでは、筐体のまわりにギャラリーが何重にもできるほどの大ブームになりました。

そしてこの熱気に合わせるように、セガは再び満を持して新ハードを投入します。

その名も── 「セガ・サターン」

時代はまさにポリゴン全盛期。 あの 「バーチャファイター」 が家で遊べるなんて、当時としては夢のような話でした。

しかも移植度は 90%超え と言われるほどの完成度。 セガ・サターン、本当に素晴らしいハードだったんです。

その頃、任天堂はカセット方式の NINTENDO64 を展開していましたが、売れ行きはやや鈍化気味。 そんな中でサターンは、アーケード移植を中心に魅力的なソフトを次々と投入していました。

「これ、セガが天下取っちゃうんじゃない?」 当時は本気でそう思えるほどの勢いがあったんですよね。

そう、あのハードが出るまでは・・・

ソニー「Playstation

今まで任天堂ハードにソフトを供給してきたナムコやスクエアを引き連れ、 それまでゲーム業界とはあまり縁のなかった Sony がついにハード業界へ参入します。

その後のPlayStationの快進撃については、また別の機会に語るとして── まさにこれからセガ・サターンの快進撃が始まろうとしていたタイミングで、 横から思いっきり水をかけられたような感覚でした。

そして追い打ちをかけるように、セガにトドメを刺すかのごとく発売されたのが 「PlayStation 2」

もちろんセガも黙ってはいません。 負けじと、渾身の新ハード 「Dreamcast」 を投入します。

Dramecastはセガ最後のハードとなります。

秀逸なソフトはいくつもあったのですが、残念ながら PlayStation2 の牙城は崩せませんでした。 あの自虐的なCMも一時的には話題になったものの、気づけば Dreamcast の名前を世間で耳にすることは少なくなっていきました。

ちなみに私は、セガの家庭用ゲーム機は マスターシステム以降すべて所持 していました。 今あらためてプレイしてみると、テレビの解像度が高すぎて、当時は「めちゃくちゃキレイ!」と思っていたグラフィックが、なんだか妙に粗く見えてしまうんですよね。

思い出は、きれいなまま心の棚にそっとしまっておいた方がいいのかもしれません。